生まれ持った性質や育った環境や周りの大人がどんな対応をしたかというものは、やはり運だ。そう考えると、人と違う性質(怒りが抑えられないとか)を生まれ持ってしまったというのは、やはり不幸なことだと思う。
そういう子は早いうちに専門家に看てもらって治療を受けたりアドバイスをもらったりしなければならないと思う。
そうすることが、被害者を出してしまうことの予防になるはず。
(だからと言って、そういった人が全て犯罪者予備軍になるということは決してない)

そうは思う一方、やってしまった後はもう社会の中で生き直す価値も権利もないし、悪は悪に他ならないから早急に社会から排除するべきだし、絶対に許すことはできない。
けれど、悪は悪に他ならず、自分たちとは全く違う種類の人間で、防げなかったことだと切り捨ててしまったら、被害者が出ることもしょうがないことだと切り捨ててしまうことになってしまう気がする。それは、自分が加害者にも被害者にもなり得ないと思っているからではないだろうか。

防げなかったのには、近くにいた人達や周りにいた人達にも責任がある。それも不運に過ぎないけれど、何もできなかったというのは、直接的に誰かを傷付けたわけでもないのに、もたらす犠牲は大きい。
けれど、もし、手を伸ばせば防げる位置に自分がいたとしたら、果たして防げただろうかと考えると、恐ろしくなる。
周りにいた子たちもそのグループの他に居場所がなかったんじゃないかとか思うと、悲劇だ。
多分、主犯格みたいな子がいなくて、もしくはちゃんと早いうちに治療を受けていて、この事件が起こらなくて、みんな進学したり就職したり引っ越したりしてバラバラになっていたら、昔はやんちゃしてたな(笑)みたいな思い出話になっていたんだろうな。けれど、いずれ過去となるその青春時代の思い出は、もう笑い話にもしみじみと懐かしめるような思い出にもならなくなってしまった。
とはいっても、周りにいた子たちは加害者の一員に違いないので、被害者面をしてはいけないと思う。
運命によって加害者になってしまったようなものだけれど。

結果、思うのは、運命は皮肉だ。一番多くの不運の矛先になってしまったのが、運命に見殺しにされた被害者だ。そして、運命というのは、周りの人々全員の動きのことを言うのではないだろうか。