色玉

色玉。それは、数ある駄菓子屋の中でも「朧月屋」でしか手に入らない希少な飴玉だ。ひと袋二百円もする。噂によると、それを手に入れられるのは店の馴染み客だけだというが、どんな馴染み客もその実物を目にしたことはなかった。晶もその一人だ。彼はもう五年は朧月屋に通っているが、色玉の噂は彼が初めて訪れた頃からあり、今もなお消えることはなかった。

夏の長期休暇が明けた登校日の朝。暦の上ではもう秋ということになるが、例のごとく残暑は厳しく、すでに高く昇りつめた朝日が眠気の抜け切らない頭を煮やす。

「おはよう、晶。」

晶は聞き覚えのない声に困惑しつつ振り返ると、そこには友人の陽の顔があった。

「どうしたんだよ、その声。風邪か?」

「声変わりだよ。」

そう言う陽の声はかつてあった透明感を失い、落ち着く具合に低く響いた。まだあどけなさを残す顔立ちに似合わない、大人びた声だ。晶は自分の甲高く幼い声が恥ずかしくなった。クラスには、この長期休暇中に陽のように声変わりを迎えた生徒が数名いた。背丈が五寸も伸びた生徒もいる。晶はというと、声と同様、背丈もそれほど変わらなかった。

新学期が始まって二週間ほどが経った日の放課後。晶はいつものように陽の元へと駆け寄った。

「今日も行くだろう、朧月屋。」

彼らは学校のある日はほとんど毎日あの店へと共に足を運んでいた。五年前からずっとそうだった。

「悪い、今日は家の用事があって、母さんに早く帰るように言われているんだ。」

陽は大人びた声で申し訳なさそうに言った。

「そうか。おばさんによろしくな。」

明日行こうなと一言付け足して去ってゆく陽の姿を、晶はあえなく見送った。

陽も居らず、朧月屋へも行かないとなると、いつもの帰り道が急につまらなく物寂しいものとなった。腹も減ってきた。すでに店のある地点は通り過ぎたが、晶の足は自然と踵を返し、店の方へと向かった。

高架下商店街にある硝子細工屋の裏。商店街から少しはみ出すようにして朧月屋はある。朧月屋の母体としてあるその硝子細工屋も、朧月屋の店主がやっている。

古めかしく黒ずんだ銅製の看板に、茶色くくすんだ橙と白の交互に入った縞模様の軒先。木枠の引き戸にはまった硝子には亀裂が入っており、ガムテープで補強されている。その硝子の内側に、「春夏冬中」と書かれた札が下げられている。裏面には「支度中」と書かれており、営業時間外はその面が表へ向けられるのだ。

ちょうど晶と入れ違いに店を出て行った三人組の他に、客はいなかった。店主はちょうど奥へと下がったようで、晶は一応奥へ向けて挨拶を投げ、店内を物色した。菫色の琥珀糖と、純白の粉砂糖がまぶされた餡ドーナツを手に取る。喉も乾いたので、会計脇にある冷蔵ショーケースの前でジンジャーエールにするかラムネにするかしばらく頭を悩ませた。

すると、がらがらと引き扉の閉まる音がした。「春夏冬中」の字面がこちらを向いている。その上から青白く筋張った大きな手によって紫紺のカーテンが閉ざされると、店内はいっきに暗闇に包まれた。

突然、目の前を橙色の灯に照らされ、晶は咄嗟に目を瞑った。そして、徐々に開いた。そこには、ランタンを手に提げた店主の姿があった。肌は青白く、鎖骨あたりまである焦げ茶色の髪を後ろに束ねている。いつ見ても不健康そうな顔だが、今日は一段と顔色が悪いようだ。だがその一方、五年前から少しも老けた印象を受けない不思議な男だ。晶が訝しんでいると、思いがけない言葉がかけられた。

「色玉、欲しくないか。」

晶は一瞬呆けたが、理解すると、迷わず頷いた。誰もが欲しがる幻の飴玉。それをこの手にできる機会を逃すわけにはいかない。

「こっちへ来い。」

店主は鼻緒の黒い下駄を脱いで、会計の脇から段を上がって奥へと進んでいった。自分の履物は持ってくるようにと言われたので、晶は脱いだローファーを手に、店主の後を追った。

通されたのは、小さな茶の間だった。卓袱台に座布団が二枚。それと年季の入った桐箪笥があるだけで、こざっぱりしている。部屋の右奥に鉄製の扉があり、その前が四角く切り取られたように段が下がっている。晶はそこに靴を置いた。店主は晶を座布団に座らせると、桐箪笥の中から白い小さな袋を取り出した。

「二百円だ。」

晶は慌ててポケットを探り、小銭をかき集めた。二百七円しかない。色玉意外の菓子と飲み物は諦めざるを得なかった。店主に二百円を渡して白い袋を受け取ると、晶は鉄製の扉から外へ出た。そこは店の裏だった。いつも店で買い物をした後、ここに転がっているジンジャーエールやラムネのプラスチックケースに腰かけて、菓子を食べながら陽と談笑するのだ。今日は一人だが、晶はいつものようにケースに腰掛けた。早く色玉を眺め、味わいたかった。

ビニール製の袋の上から同じ大きさの和紙袋が重ねられており、口の部分が赤い紐でとめられている。一見すると匂い袋のようだ。紐をほどいて中を見ると、赤や青の丸い飴玉が入っていた。普通の飴玉じゃないかと少々落胆しつつ、晶は赤色を一つ取り出して口に含んだ。まあまあ味はいい。林檎と苺の味がする。歯を立てると、飴ではない固い感触があった。取り出して日にかざしてみる。それは硝子玉だった。白んだ細かい気泡が全体に入っており、目に近づけて中を覗き込むと、さながら赤い海がそこにあった。

舐め終わった硝子玉をポケットにしまうと、袋の中を掻き回して何色があるのか確かめた。赤、青、緑、黄がそれぞれ数個ずつある中に、一つだけ白いものがあった。それは他のものとは違って、透き通っていなかった。晶はそれを口に含んでみた。上質な砂糖を使っているのだろう、花の蜜が香るような上品な甘さが口の中に広がった。糖が溶けていくにつれ、晶は不思議なことに気が付いた。中の硝子玉がじわりと温かいのだ。取り出して手に取ると、すぐに温かさは消えた。それは蓄光石のように白く濁っており、艶のない乾いた質感だった。もう一度口に含む。すると、玉はたちまち熱を取り戻した。乾いた石肌がじっとりと舌に張り付くようで心地よい。晶は取り憑かれたように恍惚として舌の上で玉を転がし続けた。意識に霧がかかり、徐々に微睡みの中へと落ちてゆく。やがて事切れ、晶は地面へと倒れ込んだ。唇は青ざめ、すでに呼吸は止まっていた。

晶の亡骸の後ろで扉が開いた。青白い肌の男は何食わぬ顔でその亡骸へと近寄ると、彼の小さな口の中へと筋張った指を突っ込み、白い玉を取り出した。それは妖しく光を湛えていた。男はそのままそれを自分の口に入れた。舌で弄んだ後、喉仏をうねらせて玉を飲み込んだ。すると、男の肌に少しずつ艶が現れ、色のなかった唇に血の色が蘇った。