生きている実感がわかない若者たち

生きている限り虚しいのだから完璧に満たされてハッピーーーーな状態を求めて宗教に傾倒しても無駄。
だから薬物をやるのだろうけど、ズルしてとてつもない多幸感を得たらその分落ち込みも深くなるのは当然。

「生きている実感がわかない若者が増えている」と言われている。
生きている実感がないというのは、自分の存在を外からの刺激によって感じにくいという状態なのだと思う。その刺激の弱さ、包括する環境、刺激を受容するその人自体に問題がある。
まず、現代においては生きていることが当たり前になっているということが前提にある(本来はいいことだと思うんだけど)。
次に、自分の意思よりも親の「あなたのため」という歪んだ愛情とエゴに基づかれた「よかれ」教育が、その人から自分の意思で動く力と「自分の意思で行動している」という実感、むしろ感覚自体を奪う。自分の体を操る主体がどこか遠いところにあるような感覚をぼんやりと抱き続けることになる。
だから、「高学歴なのに」という報道の仕方は少し的を外れていると思う。高学歴だからこそ、自分の意思を亡くして親の期待に応えてきた人がたくさんいるのではないかと。
そう考えると、そのような経緯で生きている実感が得られなかった若者たちが、「誰に言われたでもない大きなことを自分の意思に基づいて遂行する」ことによって生きている実感が得られると考えても、何も不思議ではない。その生きている実感を得るための行動の方向を間違ってしまうと元も子もなくなってしまう。
そして、その生きている実感のなさが、一種の生きる虚しさなのだと思う。
その生きる虚しさを埋めるために多幸感を求める気持ちは多くの人が持っていると思う。

でもきっと、その虚しさと向き合って、愛着を持って生きていかなきゃいけないんだ。

(相変わらずまとめ方が雑い)