得られなかったものを「得られなかった」のだと認識したときの衝撃は、喪失体験に匹敵するのだろうか。
それとも、得られなかったものへの憧憬が強過ぎて、それを得たときの幸福が自分には計り知れず、そんなものを失うときの悲しみは、やはり同じく 計り知れないものになるだろうという、憶測の域を出ないものが原因なのだろうか。

でも、なんだかそれじゃあしっくりこない。

本当に見たくないところだから、奥底にいる私が私の両目を塞いでいるという可能性もないわけではない。

いつか分かればいいのだけど。