過去と未来と希望

バルザックが恐ろしいことを言っています。すなわち、「希望は過去にしかない」と。
人生で、いちばん空しく、みじめなことは何でしょうか?
それは「かつては……だった」「かつては美しかった」「かつては強かった」「かつては有名だった」等々、生きながら、自分の長所に過去形を使うことです。』

三島由紀夫の名言botにて拝読。

そりゃあ過去の栄光にいつまでもしがみ付いているのはみっともないが、
バルザックの言う「希望」とはどのようなことを示すのかがまだ分からないので後でちゃんと考えたい。

当時はたいして楽しいとか幸せとか感じていなかったのに、あの頃は楽しかったとか幸せだったとか思うのは何故なのだろう。
そう思ってしまうからか、幸せというものはこれから先、どんどん細く小さくなっていってしまうような不安が湧き起こるけれど、きっとそうではないのだろう。
時が遠ざかれば、どんどん「当時」は美しいものに思えるような気がする。まだ少ししか生きていないのであくまで憶測なのだが。
特別に苦しかったことは流石に後で「たいしたことなかった」とか切り捨てられないけれど、日常の苦しみは常に「今」が一番辛いもののように感じる。そして、あの頃の日常の苦しみは今思えばたいしたことなかった、と。
苦しみは和らぎ、たいしてよくなかったあの頃をよかったと思えるのはある意味おめでたいな自分。

けれど、未来に希望を持っている人も、過去はいいものだったと思っているように思う。そして、過去の色がそのままこれからも続くと思っいるような気がする。

ていうか、過去の希望はすでにあったものだからある意味確固たるものだけれど、未来の希望は確固たるものではないから、ということが言いたいのかな…?